【特別取材記事】赤ちゃんって、いったいどんな存在? たくさんの繋がりとともに深く向き合う中で、何が見えてくるのか
永田 雅子
名古屋大学 心の発達支援研究実践センター こころの育ちと家族分野 教授
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周産期〜乳幼児期の家族支援および発達障害の臨床を専門とする。Brazelton Institute公認NBASマスタートレーナー。研究論文の執筆、発表に加え、教育研修用DVD「赤ちゃんとお母さんを支える~観察することで見えてくること」の制作や各種研修をはじめ、臨床知見の蓄積、普及を行う。2024年4月より名古屋大学副総長も務める。
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「皆さん、意外と赤ちゃんのことを知らないのです」
赤ちゃんを知るとはどういうことだろうか。もちろん私たちは、赤ちゃんに対して全くの無知、無力ではない。たとえば、私たちはたくさんの命を救えるようになった。1950年ごろ、約27%もの新生児が亡くなる時代があった(1)。今やそれが0.8%まで減少(1)。目指す数字は0%だが、社会環境の変化に加え、医療の進歩、そして医療従事者のたゆまぬ努力にまずは感謝したい。
そして、新たな命の誕生は人生のスタート地点に立つことだ。1990年ごろ、救命率の向上とともに新しく目を向けられるようになった分野がある。赤ちゃんとともに成長するお母さんやお父さんをはじめ、周りの人たちと向き合い、支援すること。赤ちゃん自身が生まれ持つ力にしっかりと目を向けること。知見を蓄積し共有すること。こうした全ての積み重ねが、赤ちゃんを本当の意味で知ることにつながっていく。
(1)e-Stat人口動態統計 上巻6-2「年次別にみた性別新生児死亡数並びに新生児死亡率(出生千対)・新生児死亡性比及び乳児死亡中新生児死亡の占める割合」(調査年月:2023, 公開(更新)日:2024-09-17)
●ただ傍にいることで、救われる心がある
永田さんは学生時代、大学内で行われていた重度心身障害を抱える子どもとその家族の支援の研究グループに関わっていた。その現場で、つらさを抱える親にたくさん出会った。
「子どもが生まれたときがしんどかった、誰かに話を聴いてもらいたかった、という話を聞いていました」
サポートが必要な小さな赤ちゃんが多く生まれる現場では特に、母子のメンタルヘルスをはじめ、医療者だけではカバーしきれない心理職の働きが求められ始めていた。1995年、大学院を卒業したのち、それまでの活動を通しての縁もあり、総合病院の新生児集中治療室の現場へ飛び込んだ。しかし、当時はまだ黎明期。決まったポジションはなく、週1回のボランティアから始まった。
そして、現場は甘くない。当初、医療の資格を持たない心理職の立場は宙に浮いていた。医師や看護師は多忙を極める。赤ちゃんは泣いていて、親との面会時間もわずか。赤ちゃんに触ることはできない。治療することもできない。「ただただ、どうしていいものやら」という日々だったそうだ。それでも、心理職として受け入れてくれていたことに感謝の念を抱いていた。ふつうは入れない新生児集中治療室。「大事な事だからがんばれ」、「あなたのやることは一切私が責任を持ちます」と、同僚の医師も、上司も応援してくれた。
「逃げちゃだめだと思っていましたね。だって、家族は逃げられないのですから」
あるご家族の話。25週で1000g未満での出産。頭蓋内の出血もあり、懸命な治療が続いていた。生後4日、母より、「これ以上治療をしないでほしい」との訴えがある。赤ちゃんの生命力に希望を感じていた医療スタッフは動揺した。命と向き合うことをあきらめるのか。しかし、永田さんはこのとき、母の心を聴いた。くちゃくちゃになるほど揺れ動く感情の中、母が絞り出した言葉には、逃げ場がない中で、児の“生”を誰よりも真摯に受け止めている姿があった。
“昔であれば死産だった命かもしれない。それを呼吸器がつけられて,治療をして,生きているのは本人の力だと言っても,呼吸器をつけないと生きていけないのがどうして本人の生命力なんだと思う。医療スタッフは助かればそれでいいのかもしれない。だけどそのあとその子と生きていくのは家族。障害が残ります。でも生きます。後はよろしくって何なのと思う。面会用の椅子を投げつけて保育器を壊してやりたい。あの子がそれで亡くなってもかまわない……。” (2)
か弱く、今にも切れてしまいそうな生命線。その子の人生を受け止めるからこそ、計り知れない重さがのしかかる。
“「家に連れて帰りたい……。一緒に家族で川の字になってあの子と寝てあげたいんです。でもそれをするとあの子は死んでしまう」と泣き崩れた。” (3)
決して、考え無しの治療拒否ではない。医療スタッフと心理職で、家族が赤ちゃんと過ごす場を守っていく方針を確かめた。最終的に、脳障害は残るものの、赤ちゃんは家族とともに生きることになる。
心に寄り添い、具体的な支援につないでいくこと。他の立場では担えない心理職の役割がここにある。母や家族が自らと深く向き合い、そこに波打つ感情を打ち明けるだけの信頼関係は、決して簡単に築けるものではない。今回は、「さばさばした人」という前評価の母に、ちゃんと会い、話を聴くところから始まった。医療スタッフとの面会で母の傍に立ち、一緒に話を聞いた。赤ちゃんとの面会で一緒に見守り、何気ないようすの変化を話し合った。家族との面会で沈黙を共有し、考えがまとまるのを待った。ずっと一緒にいた。それを何度も何度も繰り返し、医療スタッフに事情を共有し、やがて母と家族、そして赤ちゃんは生きたのだ。
「なんて役得、と思います。当時は背を向けられたような方にも、何年後かに会ったとき、『実はあのとき声をかけてもらって本当はすごい支えになっていた』と言われると、無駄じゃなかったんだと思えます」
(2) 『“いのち”と向き合うこと・“こころ”を感じること―臨床心理の原点をとらえなおす』
後藤 秀爾(監修)/永田 雅子(編)/堀 美和子(編) ナカニシヤ出版/出版年月日2013年4月1日 p.34 – 35
(3)同上 p.35
●大丈夫。赤ちゃんにも親にも、ちゃんと力がある
病院にボランティアとして飛び込み、1年がたったころ。いろんな赤ちゃんが持つ力や個性を見る中で、赤ちゃんのことをもっと知りたい、と思うようになった。ちょうど非常勤として採用され、現場の心理職として続けようと腹をくくったタイミングだった。
赤ちゃんを客観的に、より詳しく見る方法はないか。そこで登場するのが、ブラゼルトン新生児行動評価(NBAS:The Neonatal Behavioral Assessment Scale)。療育の研究を通してその存在を知っていた永田さんは長崎へ向かった。長崎県の五島列島は、NBASを開発した小児科医のベリー・ブラゼルトン氏が比較文化の研究で訪れていた場所。そのつながりで、長崎大学にトレーニングコースが開講されていた。
たとえば赤ちゃんは、自分が声をかけられたことに気づき、うまく首を傾け、そちらに意識を向けるようになる。それがだんだん上手になる。当たり前のようで、見逃しがちなサインでも、立派な成長の証だ。NBASでは、自律神経系のバランス、運動機能の成熟のようす、睡眠と覚醒をはじめとした意識状態の調整、そして外界と関わる能力の4つを主な観点として、特に生まれたばかりの赤ちゃんがいまどのような状況にあるかを観察する。

赤ちゃんが示すストレスサインは何を意味するのか。いつ、どのような対応が必要なのか。ただ漠然と見るよりも断然、赤ちゃんの反応を理解しやすくなる。また、家族に伝えることで、わが子の個性や確かな成長を一緒に見守ることにもつながる。現場応用や普及活動、さらには研究手法としても活用し続け、2024年5月にはボストン小児病院のBrazelton Instituteにより、永田さんはNBASマスタートレーナーに任命された。
近年、産後のうつ病の予防や虐待予防など、リスクマネジメントが進んできた。一方、リスクの面が強調されすぎると逆に、家族は不安を覚えることもある。心理職が話しかけるだけで、「自分はそれだけまずい状況なのだろうか」と考え込んでしまうケースもあるそうだ。永田さんは、赤ちゃんとの向き合い方や家族への支援の在り方をポジティブな流れに変えていきたいと考えている。
「赤ちゃんにも親にも確かにリスクはあります。それでも、これだけ力があるんだ、ということに気づいてほしいなと思います。リスクを心配するだけではなく、温かい視線がちゃんとあることで良いスタートを切ることができます」
●赤ちゃんの研究のこれまでと、これから
永田さんが活動を始めてから約30年がたった今、その重要性が認められ、周産期医療の場の8~9割には心理職が置かれるようになった。1997年、永田さん含め、たったの6人で立ち上げた心理職同士のつながり、「周産期心理士ネットワーク」も、今では全国に広がり、総会員数は2023年3月時点で241名となった。各地区の若手が育ち、次の世代の心理職たちが中核となって活動を担っている。
どんなに重要な活動であっても、一から始まり、ここまでの広がりを見せるのは簡単な事ではない。長い道のりで取り組んできた数多くの努力のうち一つが、論文執筆と学会発表だ。
「ボソボソつぶやくだけでは現状は変わりません。エビデンスの積み重ねが大事でした」
病院の上司からも強力な後押しがあり、臨床現場の活動と並行して研究を続けた。例えば、きょうだいの有無や出生順を考慮したうえでの、新生児の気質と育児ストレスとの関係性(4)や、マタニティーブルーズと、母から正期産正常児への愛着との関係性(5)など、大規模調査含め多くの研究をまとめてきた。ちなみに、学会発表を通して知り合ったのが、「周産期心理士ネットワーク」の初期メンバーである。精力的な研究と発表が、確かに状況を変えたのだ。
それでも今なお、新生児の研究はデータを蓄積するのも難しく、まだまだ始まったばかりだそうだ。
「医学、心理学、神経科学など、いろんな分野の先生の話を聞くと、今でもすごく勉強になります。その意味で、たくさんの人が集まって議論し合える、学際的な研究分野なのだと思います。皆で知見をすり合わせながら、なにがあの子たちの発達に影響していて、どういうふうに、いつから支えてあげればどう育っていくのかということを、しっかりとまとめていきたいですね」
これからも永田さんは、臨床に学び、臨床を助ける研究を続けていく。
「現場ではそれぞれ感覚的に理解していたけれど、うまく言語化できていなかったものを、理論化したりデータベース化したりして、『そうそう、そういうことだよね』と皆が納得するものが良い研究なのだと思います。そうした研究を続けていきたいです」
(4) Shuji Honjo,Rie Mizuno, Miyoko Ajiki, Atsuko Suzuki, Masako Nagata, Yumie Goto, Takanori Nishide (1998).Infant temperament and child-rearing stress: birth order influences. Early Human Development, 51: 123-135
(5) M. Nagata, Y. Nagai, H. Sobajima, T. Ando, Y. Nishide1, S. Honjo (2000). Maternity blues and attachment to children in mothers of full-term normal infants. Acta Psychiatrica Scandinavica, 101: 209-217
(取材・文:綾塚達郎)