【有機化学】【大井 貴史 氏】研究者の個性を問う―あなたが積み重ねてきたものは何か

大井 貴史
名古屋大学 大学院工学研究科 / トランスフォーマティブ生命分子研究所 教授
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有機イオン対触媒の研究を軸に、世界で唯一無二の研究を展開。現在も学術変革領域研究(A)「炭素資源変換を革新するグリーン触媒科学」において、ラジカル反応を組み合わせた研究に挑戦。新しい化学を世界に発信し続けている。
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学生時代のこと。ドクターへ進むべきか、大井さんは迷っていた。これまで昼夜問わず実験に勤しんできた。少しずつ自信もついてきた。それでも世の中は多様で、いろんな人がいる。このまま研究室にどっぷり漬かったままで良いのかと、批判的な気持ちも一方にはあった。
会社の面接も受けてみようかと思った。他大学の学生がずらりと並ぶ中で、自分を選んでもらえる理由は何か。自分に給料を払う価値とは何なのか。
「あぁ、けっこう無いなって思いました」
研究成果は出してきた。それでも、自分で一から研究テーマを考えてきたわけではない。やってきたことと言えば、一生懸命に手を動かしてきたこと、それだけではないか。そのような中で、恩師の丸岡啓二助教授(肩書きは当時。現在、京都大学薬学研究科特任教授)が、「ドクターに行くのはどうか」と、声をかけてくれた。自分のことを少しでも買ってくれる、その一言が力になった。
自分で発案して、実際に実験に落とし込む。それを、これまで無かった化学に繋げていく。チームと信頼関係を作り、自分の力で何かをやり遂げる、そういう人になりたい。ドクターに行こう。そして問い続けた、「自分にしかできないこととは一体何か」。

今、これまでを振り返って、大井さんは次のように話す。
「少し極端に言えば、何か試してだめだったことにこそ、本当の価値があると思います。それぞれの研究の過程で積み重なった、日の目を見なかったアイデアの全てが、何かに繋がります。それが研究者の個性を作っていると思います」
論文として認められたデータは氷山の一角。それを支える膨大な実験の量、そして無数のネガティブデータの厚みこそが宝。効率やアイデアの良さで勝負というのも、「一面では正しいと思う」としつつ、「少なくとも、そうしたアプローチだけの成果は、時の批判に耐えないと思う」と話す。
とにかく実験の毎日。それは研究室に配属された大学4年生のときから始まっていた。
●実験に明け暮れる日々を支えてくれた恩師とのつながり
大井さんは学生時代の自分を、「不真面目な学生だった」と振り返る。そんな自分にゼロから有機化学を教え、ずっと育ててくれた山本尚教授(肩書きは当時。現在、名古屋大学名誉教授)と丸岡先生の存在は大きく、「この出会いが何よりも、すべての出発点」と話す。大学4年生のころ、トップジャーナルとして名高いアメリカ化学会の学術雑誌に、恩師2人の名前に挟まれて掲載された論文は思い出深い一稿だ。

化合物は、同じ“素材”でも、形が少しでも異なれば全く別物となってしまう。例として、上記論文にたどり着く過程で行われた実験の一部をのぞいてみよう。下図の①と②を見比べたとき、出発原料の形の違い、できあがる化合物の数と形の違いがわかるだろうか。

実験を始めたばかりのとき、似て非なる構造を持つたくさんの種類の化合物がごちゃ混ぜに出来上がってしまった。それがある日突然、一つの化合物だけが選択的に得られるようになった。すぐに原理がわかったわけではないが、「何かが違うぞ」と、その結果に驚いたそうだ。

最初、山本先生には、「心を入れ替えないといけないね」と言われた。実験室で過ごす日々で丸岡先生にはよく怒られた。それでも、だんだんと実験が面白くなってきた。大学院入試では、「大学に入ってはじめてまともに勉強した」と、大井さん。研究室に残るために頑張った結果、成績は良く、丸岡先生がびっくりしたそうだ。山本先生にもその変化は伝わっていたのだろう。大学院2年生のときには、「ちゃんと教えてやってくれ」と後輩の指導を直々にまかされた。その言葉を今でも懐かしく思い出す。
「何気ないことだったかもしれませんけど、僕にはとても嬉しくて」

●研究メンバーとともにチャンスをものにする
丸岡先生とはその後も多くの現場を共にした。北海道大学では助手、京都大学では助教授としてチャンスをもらい、研究室の立ち上げも、新しい化学の開拓も一緒だった。丸岡先生はそんな大井さんを、もはや学生ではなく、一人の研究メンバーとして尊重してくれた。
「教授として丸岡先生が何を考えているのか、リアルに想像しながら仕事ができたのは、幸せなことでした」
いざ、名古屋大学で自身の研究室を立ち上げるとき、本当に何も無い状態でも特段焦りは感じなかった。与えてもらえたチャンスに対して、やろうと思うことを自然とやる。そんな大井さんのもとに、浦口大輔助手(肩書きは当時。現在、北海道大学触媒科学研究所教授)はじめ、学生も第一希望で5名も集まった。メンバーに恵まれたことも、何よりの追い風だった。
「新しいことを始めよう」。そうして手掛けたのが、有機イオン対の触媒化学。浦口さんの得意分野も存分に生かした成果の一つに、アミノホスホニウム塩がある。この触媒について、その特徴のごく一部を簡単に説明すると、プラスとマイナスが引き合う力や水素結合の力、触媒の立体構造を利用して、原料となる分子を捕捉、制御し、狙い通りの構造をもった生成物を選択的に化学合成できることだ。

(上)様々な形をとるアミノホスホニウム塩の一形態。プラスの電荷を帯びた触媒分子がマイナスの電荷を帯びた分子を引き付け、水素結合の部位で捕捉する。この形態ではCl-(塩化物イオン)が付いている。(中)X線構造解析で決定した立体構造。コンパクトな構造であっても、分子を包み込むように固定する。(下)触媒が働くようすの例。Cl-が付いていた場所で反応を制御する。詳細は以下論文参照。
Chiral Tetraaminophosphonium Salt-Mediated Asymmetric Direct Henry Reaction; Daisuke Uraguchi, Sawako Sakaki, and Takashi Ooi; J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 12392-12393.
この触媒は学生メンバーの力でさらに発展する。上図ではCl-が配置されている場所に、何か面白い別の分子を当てはめることはできないか。ノーアイデアの中で手始めに選んだのが、様々な種類が販売され手に入りやすいフェノールだった。

最初はアミノホスホニウム一つに対してフェノールが一つ付いた形を想像していた。合成反応もそこそこうまくいく。一方、わざわざフェノールに置き換えるべき理由は見えていなかった。ところがある日、この実験を担当していた学生の機転でX線構造解析を試してみたところ、驚きの分子構造が明らかになった。フェノール一つどころか、さらに二つが間に挟まった形をとっていたのだ。このフェノールによって触媒の新たな立体構造が生まれたのに加え、フェノールにClを付けるなど、様々な工夫を施すことが可能になった。

(上)アミノホスホニウムにフェノール分子が3つ付いた形をとっている。(下)アミノホスホニウムやフェノール分子の置換基を工夫することで、さらなる触媒の改良に成功した
偶然に大発見を見出した、まさにセレンディピティを体現した研究成果だった。論文はScience誌に掲載。2人の指導教官に学生の名前が挟まれているのは、在りし日の大井さんを想起させる。

●人と出会い、実験を積み重ね、新しい化学に挑戦する
大井さんは新しいことへの挑戦に迷いが無い。たとえ勝算が見えなくても、本質にオリジナリティがあると思えば、メンバーと一緒に踏み出す。
「先に希望が見えているかどうかではなくて、やるかやらないかですよ。真っ暗でも、踏み出すことこそが、希望なんです」
多くの人に支えられ、チャンスをもらってきた。メンバーと一緒に積み重ねてきた実験の数々を土台に、「自分にしかできないこと」を自然と紡ぐ。
「論文を出したときに、著者名と所属機関を隠しても、『これたぶん大井研からじゃないの』と、世界の人に思ってもらえるような化学をこれからも発信しようと思っています」
(取材・文:綾塚達郎, 取材日:2025年9月17日)
