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【量子物理工学】【川口 由紀 氏】新たな物理現象を予言せよ!理論研究で挑む、極低温原子の未知のふるまい

2026.03.23

川口 由紀
名古屋大学 大学院工学研究科 応用物理学専攻 量子物理工学 教授
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冷却原子気体、トポロジカル磁気構造、超流動や超伝導といったキーワードのもと、理論物理学の研究を進める。中でも、内部自由度を持つ冷却原子気体の理論研究では、科学技術分野の文部科学大臣表彰をはじめとし、数多くの受賞歴を持つ。
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 絶対零度、マイナス273.15℃。これ以上冷たくなることはない、静謐な世界。実はこの温度に近づくと、常識にはない不思議なことが起こる。たとえばヘリウム。バルーンや気球にも使われる軽くて安定した気体で、常温ではどんなに圧力をかけても液体になることはない。それがマイナス269℃で液体になり、さらに2℃ほど冷やすと、なんと勝手に壁をよじのぼったり、原子数個ぶんほどの隙間すら通り抜けたりといった性質を見せる。いわば、究極の“さらさら” 状態で、超流動という現象によるものだ。

「とても面白いと思いました。この分野を選んだきっかけのひとつです」

容器の外側底面に液滴が付いていることから、超流動ヘリウムが壁をよじ登り、容器の外に出たことがわかる(画像提供:東京大学低温科学研究センター)

 極低温の原子はいったいどのように振る舞うのか。実験で実証するのも面白い。一方大学生のころ、実験のセットアップなどに手間取ることも多く、物理現象を深く考察するところまでなかなかたどり着けないこともあった。「物理の面白さを良いとこ取りしたかった」と川口さん。もともと考えるのが好きだったこともあり、理論物理の道に進んだ。有名な理論物理学者と言えば、アインシュタインもその一人だ。既知の法則や仮説、データをもとに計算を駆使して未知の物理現象を予言したり、説明がつかない実験結果に解釈を与えたりする。

●理論と実験が交差する「原子気体」研究の魅力

 理論物理と実験物理は両輪の関係にある。新しい理論が次なる実験の方向性を左右し、新しい実験結果が次なる理論の土台となる。川口さんがちょうど大学生になったころ、原子を捕獲し冷却する技術にブレイクスルーが起こった。なんと、絶対零度からわずか1000万分の1℃という極低温が実現。そして、この技術によりある予言が確かめられることとなった。それが1925年、アインシュタインの論文により発表された、ボース=アインシュタイン凝縮という現象だ。サティエンドラ・ナート・ボースの量子統計の研究をもとに、アルベルト・アインシュタインが理論を発展させたことでその存在が予言され、70年を経て実験的に実証された。

(左) サティエンドラ・ナート・ボース、(右) アルベルト・アインシュタイン

 たとえば、ルビジウムという常温で固体の元素を約100℃で熱し、ルビジウムの蒸気をつくる。通常であれば、蒸気は冷やすと液体、固体と元に戻ってしまう。そこで、空気の10万分の1という非常に密度が低いスカスカな状態に調整。かつ容器の壁にくっつかないよう、磁力をつかって気体を捕獲し、宙に浮かせる。こうすることで、気体のまま絶対零度近くでも存在させることができる。そして、極低温の世界では不思議なことが起こる。その一つがボース=アインシュタイン凝縮。気体のルビジウム原子は一粒ひとつぶが好き勝手に動き回る。なのに、スカスカな空間で遠く離れた原子同士が、同じ原子という理由だけで通じ合い、エネルギーの低い場所を教えあう等のやり取りが行われる。温度が低いほど遠くまでお互いに響き合う。“粒であり、波である”。これが小さい世界の物理学で扱われる“量子”の特徴。閉鎖空間で外部からの影響を受けづらいボース=アインシュタイン凝縮の実験では、原子の量子的な特徴を、“素”に近い状態で観察することができる。

“粒であり、波である”状態のイメージ図。“粒”の性質としてバラバラに動いているのに、“波”の性質として重なり合う

「原子気体ってすごいんですよ。ふつうの実験環境では確かめられないパラメーターの領域まで到達できるのが一つの面白いところだと思います」

 たとえば、超伝導に関する別の研究についてみてみよう。一般的に超伝導を起こすためには、超伝導体となる金属や化合物をかなりの低温状態に保たなければならない。リニアモーターカーへの応用例では、車体を浮遊させる強力な電磁石を作るために、超伝導体に使用されるニオブチタン合金をマイナス269℃まで冷やす必要がある。もしこれを生活環境に近い温度で実現可能となれば、そのインパクトは計り知れない。世界中の研究者が高温超伝導に挑んでいる一方、まだ先は見通せていないのが現状だ。では、いったいどれほどの高温で超伝導は実現しうるのか。ある原子気体の実験では、原子どうしの相互作用を調整することで、超伝導(に対応する状態)がより高い温度で現れることが示された。これを電子の世界に置き換えると、なんと約1000℃にもなる。もちろん、現実世界では多くの条件を考慮しなければならず、この結果が高温超伝導に直結するわけではない。しかし、物理現象の根本を知り、そこから新たな理論を導くことによって、実験物理の道しるべを打ち立てることができる。

「原子気体には不純物が入っていません。きれいな環境では理論モデル通りの実験設計が可能です。理論と実験を合わせられる楽しさがあります」

●新たな理論課題の幕開けと挑戦

 2005年、それまでは難しいとされていた元素・クロムで、ボース=アインシュタイン凝縮の実験に成功したという論文が発表された。ステンレス鋼の含有物としても身近な元素だ。前提としてどの元素でも、その原子一つひとつは小さな磁石としての性質を持っている。クロムは、それまで実験に使われてきた元素よりもその性質が強い。さらに、極低温の原子を気体として捕獲する新たな手法も開発されていた。これまでは磁力で原子を捕獲していたため、原子は微小な磁石としての性質上、全て同じ方向を向かなければならなかった。それが、磁力を使わず光の力を使って捕獲できるようになり、原子は磁気的にどの方向を向いても良いことになった。自由に向きを変えることのできる微小磁石として、極低温の原子たちは、こんどはどんな不思議な現象を見せてくれるのだろうか。

(左)磁力で原子気体を捕獲したようす。矢印は原子のもつ微小磁石の向きを表す。(右)光で原子を捕獲したようす。二方向からレーザーを照射し、交差する中心部で原子気体を捕獲する。光で捕獲した場合、原子は磁気的な自由度を持つことが可能

「一つひとつの動きが全体としてはどのような面白い構造を作るのか。何が重要なのか以前に、個人的にとても楽しいと感じるんですね」

 当時所属していた研究室の上司と相談し、次に起こりうる現象の理論的な予言の研究をスタートさせた。目を付けたのは、1915年に発表されたアインシュタイン=ド・ハース効果。磁気回転効果ともいい、アルベルト・アインシュタインとワンダー・ド・ハースにより発見され、おおよその正確性を確かめる実験も当時行われている。この現象を簡単に書くと、鉄の棒にコイルを巻いて電磁石を作り、そのコイルの電流の向きを反転させて電磁石のSN極がひっくり返ると、鉄の棒が回転し始めるというものだ。磁石の磁力方向の変化が回転運動の力に変換されることを示している。

ワンダー・ド・ハース

アインシュタイン=ド・ハース効果のイメージ図。電流の向きが変わり、電磁石のS極N極が入れ替わると、鉄心が自転するように回転する

 一見、シンプルな実験のようにも思える。しかし、量子レベルの小さな世界では具体的に何が起きているのか。このアインシュタイン=ド・ハース効果を、量子性の強い極低温の気体で実現したらどうなるだろうか。

 これまでの原子気体の理論研究に対し、新たに磁性の影響を考慮する過程では、複雑な計算に加えて多くの壁が立ちはだかった。想像以上のアイデア勝負が求められた。

「数値計算をするときに、起こっている物理現象を想像しながら、必ずこうなるはずだと信じて進めていました。信念が無いと、続けられないんですよ。絶対に正しい方向に進んでいるはずだから頑張ろう、というふうに」

 半年ほどかけ、ようやく理論計算やシミュレーションの結果が出そろった。このタイミングでなんと、追い打ちをかける緊急事態が発生する。似たアイデアを提案する論文が、公式に論文として認定される前の段階、いわば準公式状態の論文として公開されたのだ。内容を確認すると、アイデアの方向性は似ているものの、研究内容は明らかに自分の方が精密に組み立てられていた。このまま二番煎じのレッテルを貼られるわけにはいかない。アイデアの独自性が認められるためには一週間で論文として仕上げる必要がある。怒涛の一週間だった。2005112日、アメリカ物理学会が出版する学術雑誌Physical Review Lettersに投稿、200633日、掲載。論文『Einstein–de Haas Effect in Dipolar Bose-Einstein Condensates1は思い出に残る一稿となった。

 この論文の概要を簡単に書くと、クロムの原子気体に同じ方向の磁場をかけておき、急にその磁場を切ったときに、原子それぞれと原子気体全体がどのように振る舞うかを精密に記述した内容となっている。アインシュタイン=ド・ハース効果と同じように、回転の効果がかかり、それが量子の世界では渦となる計算結果が示された。もしも実験的に再現できるならば、その量子渦の中心には特徴的な穴が確認されるはずだ。

論文『Einstein–de Haas Effect in Dipolar Bose-Einstein Condensates』(1)よりFIG. 1(b)-(d)を引用。磁場を切った後、原子気体が量子渦を形成する様子を表す。図は各原子の微小磁石の方向によって分離された原子気体の密度分布を示しており、(中)および(右)では中心部に穴が現れ、量子渦の存在が顕わとなっている

「実は最近、実験でその穴が確認されました」

 発表から約20年。川口さんの論文で示した理論予想が、なんと実験で示されたのだ(2)。決して簡単な実験ではない。クロム原子よりもさらに磁力の強いユウロピウム原子が使われたものの、気体全体での磁力は地磁気のわずか1万分の1。ただでさえ難しい原子気体の制御に加え、あらゆるパーツを磁性の無い樹脂で作り、高い精度で外部環境の磁場を遮断する空間を作り出す必要があった。これには長い年月と大きな労力を要する。ここまでして実験を行う価値があると、川口さんの論文が認められた証拠でもあるのだ。

ユウロピニウムの原子気体を、各原子がもつ微小磁石の方向によって分類した様子。暗いほど原子密度が高いことを表す。(左)の図は磁場を均一にかけている初期状態。(中)と(右)の図はそれぞれ上から見た図、横から見た図で、輪切り映像となっている。それぞれ前掲した図(Fig. 1 (b)-(d)(1))の(左)、(中)、(右)と対応している。(画像提供:松井宏樹特任助教(東京科学大学)。東京科学大学プレスリリース(3)および、論文『Observation of the Einstein–de Haas effect in a Bose–Einstein condensate』(2)の図1に同図の説明がある)

(1)Einstein–de Haas Effect in Dipolar Bose-Einstein Condensates; Yuki Kawaguchi, Hiroki Saito, and Masahito Ueda; Physical Review Letters. 2006, 96, 080405

(2)Observation of the Einstein–de Haas effect in a Bose–Einstein condensate; Hiroki Matsui, Yuki Miyazawa, Ryoto Goto, Chihiro Nakano, Yuki Kawaguchi, Masahito Ueda, Mikio Kozuma; Science. 2026, 391, 384-388.

(3)『磁性量子気体におけるアインシュタイン=ド・ハース効果の観測』(Institute of SCIENCE TOKYO;

https://www.isct.ac.jp/ja/news/1nn0z5m5za9z

●いつか、原子気体の世界から飛び出した予言を

 理論物理の研究において、求められる力とはどのようなものだろうか。

「起こっている物理現象を立体構造で具体的にイメージできることが大切だと思います。数値計算だけだと、本当にプログラムと文字の並びでしかありません。実際の物理が見えなくなってしまわないよう注意が必要です。数値計算の結果に対し、その背景にある物理現象を説明することができれば大きな前進です」

 不思議なことが、いつか常識になる。その瞬間を目指して、川口さんの研究は続く。

「原子気体の中での話にとどまらず、他の分野にも還元できるような新しい現象の予言をしてみたいですね。たとえば、普通の固体結晶では、熱の出入りや電流、あるいは光や電場・磁場を使った制御など、さまざまな要素が極めて複雑に影響しあっています。でも、原子気体の実験のように、これらの要素を精密に制御しながら、個々の仕組みがどのように働き、互いに作用するかを丁寧に調べていけば、まったく新しい現象を見出せるんじゃないかなと思っています」

(取材・文:綾塚達郎, 取材日:2025年10月22日)