【法哲学】【松尾 陽 氏】法だけでは、法は見えない~研究テーマの幅広さで法哲学を深める

松尾 陽
名古屋大学 大学院法学研究科 / 日本法教育研究センター 教授
~~~
法哲学を専門としつつ、経済産業省「Society5.0における新たなガバナンスモデル検討会」の委員や「自動運転倫理ガイドライン研究会」のメンバー他、幅広い研究対象をもつ。主な編著書に、『アーキテクチャと法』(弘文堂)がある。朝日新聞コラム「憲法季評」に連載を持つなど、積極的な発信活動も行っている。
~~~
法とは何か。また、どうあるべきか。たとえば古代ではソクラテスやプラトン、アリストテレス。近現代ではカントやジョン・ロールズ。これまでに世界中の偉人が繰り広げてきた哲学や法理論の蓄積をもとに、変わりゆく社会環境に対応しながら、法哲学の終わりなき探究が進む。
過去の偉大な文献に新しい解釈を加える研究手法。これは今も主流ではあるものの、松尾さんは違うアプローチも探していた。法とは何かを考える際、そもそも法が機能するための条件とは何だろうか。これまでの法が捉えきれていない法以外の手法に大切なものはないか。こうした模索のすえにたどり着いた研究テーマの一つに、「アーキテクチャ」がある。本来は「建築」や「建築物」を意味する言葉だが、現在では広い意味で使われるようになり、物理的な技術一般、物事を構成する枠組みや構造一般、さらにはコンピューターソフトウェアを指すこともある。
●無意識に行動を誘導、制御する「アーキテクチャ」とは?
“ピアノ階段”をご存知だろうか。アーキテクチャの「好きな例の一つ」と松尾さんは話す。階段全体がピアノの鍵盤に模され、一段上がるたびに、ド、レ、ミ、と音が鳴る仕組みだ。ふだんはついつい隣のエスカレーターを使ってしまう人も、好奇心に駆られ、音を奏でながら登っていく。町おこしや健康促進に効果があるとして世界的に人気な仕掛けで、日本でもJR岐阜駅や西鉄福岡(天神)駅での設置例がある。発端は、自動車メーカーのフォルクスワーゲンが主導したプロジェクト「The Fun Theory」の一作品。2009年、スウェーデンのストックホルムにあるオーデンプラン(odenplan)駅に設置されたピアノ階段では、ふだんよりも66%も多くの人がエスカレーターではなく階段の利用を選んだそうだ。

健康促進のために階段を利用しましょう、と説明書きをすることはない。それでも、人々は楽しさを求めて自然と誘導される。場合によっては、「アーキテクチャ」は、「デザイン」や、「暗示」と表現されることもある。SNSのXをよく利用する人は140字の字数制限内で可能な文章表現を容易に思い浮かべ、バーコード決済を当たり前に使う人は現金を持ち歩かないことに不安を感じない。たとえばこのように、アーキテクチャは人々の行動を無意識に誘導・制御する。
●法哲学者はなぜ、アーキテクチャ研究を始めたのか
松尾さんがアーキテクチャの研究に興味をもったきっかけの一つは、1999年に公刊された書籍、『Code: And Other Laws Of Cyberspace』(※1)にある。憲法学者およびインターネット法学者のローレンス・レッシグが著したもので、インターネットが急激に発達、普及した1990年代の議論を反映している。松尾さんの編著書、『アーキテクチャと法』(※2)を参照しながら、当時の議論の一端を見てみよう。「インターネットをめぐる言説では、国家による規制が及ばないインターネット『空間』においては真に自由な社会が広がるのだというユートピア思想があふれていた(p.5)」という。「インターネット空間のアーキテクチャは、様々な行為を可能にしてくれる新技術として捉えられたのである(p.6)」。インターネットには変更不可能な自由さがあり、国境すらも超え、国家を超えた存在であるという考え方すらあった。こうした論説を批判する形で登場したのが、ローレンス・レッシグの著書だった。一見、自由で取り締まりが不可能に思われたインターネット空間も、結局はプログラムコードの書き換えによって規制可能な空間であった。その上で、「そのコードを利用して大企業が自己に有利な規制を形成しつつあり、そのコードが既存の法に取って代わる危険がある(p.7)」と主張したのだ。
「こうしてアーキテクチャは、様々な行動を可能にしてくれる技術というよりも、行動の制約を促進する技術として捉えられる。インターネットがその本性上自由な空間であるとすることはできないことが『コード』で示されたのである(p.7; ここでの『コード』は、ローレンス・レッシグの著書『Code: And Other Laws Of Cyberspace』を指す)」。
今やインターネットは私たちの生活に深く根差したアーキテクチャであり、多くの場面でインターネットの存在を無意識的に前提とした生活が営まれている。便利である一方、どのように規制していくのか、法との関係性はどうかといった検討がここから始まったのだ。
また、このとき松尾さんはインターネットにのみ関心があったわけではなく、アーキテクチャ全般に興味を広げていくこととなった。
「レッシグは、インターネットのプログラムコード以外にも市場や社会規範、アーキテクチャといったものの動きを見たうえで、あくまでワンオブゼムとして法規制を見るべきだという言い方をしました。ここに私はものすごく惹かれて出発しました」

現在、私たちは目まぐるしい速度で発展する技術と、その社会実装の流れの中で生活している。ここで生まれるアーキテクチャと、それによる新しい考え方、行動のすべてを法規制だけで制御することはもはや不可能だ。法、市場、社会規範、そしてアーキテクチャのそれぞれと、その関係性を包括的に扱ってこそ、より良い規制の在り方が見えてくる。このような状況の中で、『アーキテクチャと法』では、アーキテクチャがどのように法と接点を持つかが検討されているところも面白い。たとえば、アーキテクチャが法に取って代わるようなケースはあるのだろうか(代替性問題)。どのようなアーキテクチャが望ましいのか(正当性問題)。誰がどのようにアーキテクチャを形成するのか(正統性問題)。ここでは全てを紹介することはできないが、ぜひ松尾さんの著書を手に取って読んでいただきたい。
※1:『Code: And Other Laws Of Cyberspace』
Lawrence Lessig; Basic Books; Publication date: November 30, 1999
※2: 『アーキテクチャと法』
松尾陽(編著)/ 稻谷龍彦 / 片桐直人 / 栗田昌裕 / 成原慧 / 山本龍彦 / 横大道聡; 株式会社弘文堂; 出版日:2017年3月2日
●ガバナンス:組織、社会で考える規制の在り方
「ガバナンスが、すごく大きなキーワードになるんじゃないかと思っています」
法による規制は、良くない事態が起こることをある程度前提として作られている。これは法整備において手を抜いているわけでは決してない。最初からがんじがらめに規制してしまうような法の設計は国民の自由を奪うことに繋がるからだ。こうして得た自由の中で、様々なアーキテクチャが日々生まれている。それらがうまく社会に実装され、人々の幸福に資するものとして運用されるためにも、組織や企業が自ら行う統治や管理、すなわちガバナンスが重要となる。
新しい技術の危険性は、常にわかりやすく立ち現れ、対処されるとは限らない。たとえば、現在積極的に開発と社会実装が進む自動運転車。自動といっても、運転者が全く操作せず公共の場で問題なく車の機能を果たすような、“完全な”自動運転車はいまだ実現していない。技術的な面の他にも、道路やその他標識の整備、万が一の事故に対するルール作りといった諸課題を解決する必要があり、決して簡単な道のりではない。現場技術者にとって、“完全な”自動運転車が当たり前のアーキテクチャとして実装された光景は、まだまだ先の未来に映る。ただ、自動運転車が社会の中で少しずつ受け入れられ、持続的に開発する資金を得るためにも、自動車メーカーの広報担当者としては少しでも良く見せたいという心理が働くのもうなずける。テレビコマーシャルの自動運転車は、まるで人による操作や注意が不要なのではないかと思うほどスムーズな動きで魅力的に走行する。こうした技術者や広報担当者、さらには会社の経営層等構成員によるギリギリのせめぎ合いが、いつの日か重大な事故の方へとバランスを傾けてしまう可能性も考えられる。「自動運転倫理ガイドライン研究会」(※3)のメンバーでもある松尾さんは、自動運転車の現場技術者と話す中で、組織の意思決定の在り方を健全化する必要性を強く感じたという。

また、組織や企業の中でのガバナンスに対し、さらに広い視野でのガバナンスの在り方にも注目する必要があると松尾さんは指摘する。ある新しいアーキテクチャを受け入れていく社会も、その導入決定および運用に大きく影響するからだ。たとえば自動運転車においても、安全性を高めるニーズが当然ある一方、人口減少と高齢化がより一層進む日本においては、過疎地域での移動手段として早い段階での導入が強く望まれるケースもある。また将来的に、自国の市場だけで自動運転車の販売が完結するわけではない。他国への輸出も考えたとき、相手国での規制に適応できるよう設計される必要がある。国の違いを超えた規制は、果たして日本国内のニーズに適合するだろうか。このように、一つの企業や組織だけにとどまらない、広い視野でのガバナンスの検討が重要となってくる。
※3: 自動運転倫理ガイドライン研究会; 代表:樋笠尭士准教授(多摩大学経営情報学部); 2021年9月設立
●ヒントはアジアにあり~日本の法の未来を拓くために
現在、松尾さんは日本法教育研究センター(Research and Education Center for Japanese Law : 略称CJL)のセンター長も務める。ウズベキスタンやモンゴル、ベトナム、カンボジアといったアジア諸国の大学に拠点を設置し、法整備支援を進めている。特徴的な活動例としては、各国拠点で実施される教育プログラムだ。受講生は現地の法に加え、日本語と日本法も学ぶ。勉強内容が多く難易度の高いプログラムだが、4~5年の過程を見事修了した学生の多くは日本の大学院に進学している。その他にもたとえば、現状の法ではうまく裁判が進まない例などを取り上げながら、各国現場の具体的な法整備に向けた研究会なども行っている。
こうした法整備支援において、大切な考え方がある。それは、「寄り添い型の法整備支援」であり、啓蒙的に日本の法を教える、というものではない。
「日本的な価値観を押しつけるのではありません。日本はこれまで、海外の法を取り入れたあと、自国に合わせるのに苦労してきました。その経験も伝えています」
そして、法整備支援を主軸とするセンターの取組みは、日本の法をより良いものにしていく上でも大きな意義を持つ。
「単なる抽象的な法や施策があって、『こういう結果が出ている』といっても、実は隠れた第3項の要素があります。こうしたものを見るためには、もっといろいろな国を見る必要があります」
たとえば、ドイツでは複数企業合同で産業別に労働組合(産業別組合)が作られるのに対し、日本では企業別に労働組合(企業別組合)が作られるケースが多い。ドイツでは一企業の事情に左右されずに組合全体として意見を主張しやすい。一方、日本では一企業の事情にどうしても振り回されやすくなる。一口に労働組合がうまく機能しているかといっても、法以外の背景事情も検討しなければ真実は見えてこない。
このように、自国だけを見ていても頑強な仕組みになるとは限らない。そして、日本はアジア圏の国。その地理的、歴史的な影響を大きく受けて文化が形成されてきた。したがって、アジア各国で起こる法の不具合の事例に取り組むことは日本にとっても大きな学びとなるのだ。
また、日本に近いアジア圏において、各国の法律と日本の法律の双方に精通した人材を育てる意義も、日本の将来のために大きいと松尾さんは話す。たとえば移民問題。今後の具体的な施策については様々な議論の余地があるが、少子高齢化が益々進む日本において、外国籍の方をより一層受け入れていく方向性も十分にありうる。そうした社会で必ず発生する、異文化接触による問題解決においては、両当事者の法律家が必要となる。
「アジア法はまったくの専門外でした。『センター長をやってみませんか』と言われたとき、非常に大変な仕事だとは思いました。それでも就任することを決意したのは、こうした動機があったからです」

●手広い研究テーマに一貫するもの
―そもそも法が機能するための条件とは何だろうか。これまでの法が捉えきれていない非法的なところに大切なものはないか。
この問いから始まった松尾さんの研究対象は幅広い。法自体の研究に加え、法が見据える社会全般の行く末を見通す試みが続く。
「人と社会への興味が根底にあります。究極的には、人と社会をいろいろな角度からずっと見ていく。自分としてはこれを貫いていますね」
(取材・文:綾塚達郎, 取材日:2025年9月4日)
