【無機化学】【唯 美津木 氏】人と出会い、社会が求めていることを知り、新しい化学反応を起こす

唯 美津木
名古屋大学 物質科学国際研究センター/大学院理学研究科 無機化学研究室 教授
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無機材料の触媒を中心に、その合成と反応開拓、および触媒構造と反応の可視化など幅広い研究を行う。自動車の燃料電池やタイヤゴム開発などの産業分野との共同研究も多数手がけている。
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●触媒研究の難所と向き合うために
「多くの触媒が社会で使われていますが、固体の触媒は難しい。構造が複雑で何が起こっているか、なかなかわかりません」
たとえばダイヤモンドは炭素だけが規則正しくきれいに並んだ結晶。それに比べ、唯さんが扱う固体の触媒は複雑だ。触媒として働く粒子一つひとつの大きさや構造が異なり、さらにそれらの粒子が担体と呼ばれる物質の上にのせられている。ただし、この複雑な構造こそが触媒の本質。避けては通れない。どういう原理で働いているのか?どこに触媒の活性点があるのか?こうした疑問をクリアするためには合成の知見だけでなく、必然的に触媒を”観る”技術が必要になる。

触媒と一口に言っても、その研究には実に様々なアプローチがある。新しい物質の合成や、プロセス化に向けた材料や反応の改良など、求められる知識やスキルも様々だ。触媒を開発する研究では、数多くの物質を作って、片っ端から反応を調べていくことで見つかったものも多い。使えればその原理は問われないこともあり、反応機構や原理はブラックボックスのままよくわかっていない触媒もたくさんあるのが現状だ。
唯さんが研究を始めた当時に所属していた研究室は、触媒の研究のための物理化学的な新手法の開発を大事にしている研究室で、ブラックボックスになっていた触媒の構造を捉えるための計測技術の開発も行っていた。その一つがXAFS(ザフス;X線吸収微細構造)法と呼ばれる方法だった。この方法ではエネルギーの高いX線を使って試料の状態を観察する。X線はその強度や当てる物質の種類によって透過と吸収の様子が異なる。たとえば、健康診断で馴染みのあるレントゲンでは、X線を吸収する骨の部分は白く、その他の透過しやすい部分は黒く撮影される。XAFS法では、X線のエネルギーを変えながらX線の吸収を測定することで、特定の元素の量や結合の状態がわかる。触媒の詳細な構造を特定するのに有力な技術だ。

「私は学生の頃、触媒の合成がしたくて、新しい触媒をつくる研究をさせてもらいました。その後、必要に迫られて、触媒を調べる技術の開発にも携わるようになりました。このため、新しいものを作るために、何を知りたいか、物質や材料の研究を進めるために今何が問題になっているかを常に考えて、計測の開発を進めています」

●触媒の個性を見抜く技術
「触媒のような複数の材料からなる物質では、一つの物質の中に複数の構造ができてしまいます。このため、活性が高いのはどこか、劣化するのはどこか、それぞれを識別できなければ触媒のことは理解し得ないと思いました」
この30年でXAFS法は、着実に発展してはいたものの、一つの触媒材料の中の構造の違いを見分けるには課題があった。X線のビーム幅が広く、触媒に当たる面積が大きい。一方、触媒は原子や分子の配置、粒子の不均一さなどのばらつきがあり、幅広いビームで覗いていても、ビームが当たる範囲の平均的な構造しかわからない。
2008年、分子科学研究所に移ったころ、ちょうどこの課題を解決する技術に出会うことになる。ナノビームという、ビームをナノレベルまで細くする技術だ。「一緒にできないか」と早速、砂粒のような触媒の粒をバラバラにした試料を作り、大型放射光施設SPring-8(スプリングエイト)に持ち込んだ。そして、極細のX線ビームを使って、微細な触媒の粒一つ一つにX線をあて、その分析をすることに成功した。極細のX線を使って、世界で初めて、触媒一粒の活性種の結合を明らかにすることができた。


●研究は人で決まる
「企業現場の生の課題に触れることで、基礎研究も発展します」
XAFS法を使った先端研究を進める中で、自動車会社の研究者と出会った。研究開発で壁にぶつかっている様々な課題を何とかしたいと向き合うその必死な姿に圧倒された。水素を燃料とした燃料電池車の開発。燃料電池車の実走が進み、それに伴って開発課題も目まぐるしく変わっていく。しかし、動作中の電池の中は簡単には見えない。どこがどのように悪いのか、その場で診断する方法はないだろうか。課題を理解するきっかけをつかんでほしいと、共同研究の話が舞い込んだのだ。
「私は人で決めています」
当時は、燃料電池を触ったこともなく、基礎的な研究用語もわからない。それでも躊躇することなく共同研究を開始した。新しいことをやろうとする熱意と行動力が、まわりの人を動かす。良い人が集まり、良いチームが組めれば、いい研究ができる。この経験は今でも共同研究を始める際のゆるぎない基準になっている。
「良い研究テーマであっても、どこかで必ず壁にぶち当たり、大変な節目があります。そういうときに、何が何でもやるんだという気持ちがある人が集まらないとなかなか壁を突破できないですね。そして、見据えたゴールを皆で共有できることも大切です」

また、企業と組む際は、基礎研究に対する理解も大きなポイントになるそうだ。大学で研究をする以上、広く成果を公表することが求められる。基礎研究に対して理解のある企業と組むことで、企業だけではできない研究を大学と一体となって進め、それを基に相互に発展できる関係を築くことも心掛けてきた。
やがて、やってきた研究は、国の大型研究開発プログラムへと発展した。今では、SPring-8の強力なX線を使い、電池内で起こる反応や劣化の様子を、電池が「動いている」その場で三次元的に可視化できるようになり、国内外の研究者がこの方法を使うようになった。
この研究成果はその後、放射光を利用した基礎研究と産業応用を後押しすることとなる。2024年4月に運用が開始される次世代放射光施設ナノテラスの整備に見られるように、今やX線をはじめとした放射光を利用する研究は、様々な業界の研究者が集まる大舞台となっている。

●「社会が知りたいことは何か?」人と出会い、相手の立場に立つ大切さ
今でも、唯さんは専門分野の違う研究者との融合研究や様々な企業との共同研究を手掛けている。自身の専門性は持ちつつも、分野をまたいだ手広い連携が印象的だ。
「常時アンテナを張って分野外からも情報を集めている人は強いです。自分の分野で機が熟すのを待っている人もいますが、それだけでは新しい切り口はなかなかうまれません」
もちろん、同じ分野で40年、50年と知見や技術を極めて、磨き続ける道もあるだろう。しかし、上には上がいる。その世界で先人たちの先を行くのは至難の業。唯さんは、「まずは所属した研究室でスキルを積み重ね、自分の研究の軸となる基盤を作ることが大切」としつつも、少し外の分野も顔を出してみるのだそうだ。自身の分野では当たり前であることが他の分野では案外知られていない、ということも多い。他の分野の人は何を知りたいのか、どんな価値観を持っているのかを吸収することが大事だ。
そんな唯さんには、化学から飛び出て近隣分野に切り込んでいった学生のころのエピソードがある。
「当時の指導教員の先生には、『歳をとると恥をかきにくくなる。若いころはとにかく違う分野のところに行って発表しなさい』と言われていました」
大学4年生のころ、初めて出た学会は日本化学会。ただし、触媒化学のセッションではなく、有機化学のセッションだった。「怖いもの知らずでした」と、その後も物理学会から工学系の学会、国内外の企業など声がかかるたびにどこへでも赴いた。日本化学会はスーツで行くが、物理学会では誰も正装していないなど、その雰囲気の違いにも驚いたそうだ。基礎と応用の違い、分野の違いなど、立場は様々。同じ研究でも、それを表現する言葉の選び方すら全く異なる。
「いろんな先生と知り合いました。化学の人には化学の人の考え方がある。物理には物理、工学には工学。様々な価値観を知ることで、自分の専門の強さと弱さがわかります」

立場が違う人たちが社会をつくり、そして新たな価値を生む。いま社会が求めていることを、どれくらい知ることができるのかが勝負どころだ。
「常にアンテナを外の世界に張ること。専門の軸足はきちんと持ちつつ何でも興味をもつこと。知らないことを人に聞き、教えてもらうのを恐れないこと。この三つが大切です。案外、知らないことを『教えてください』と言える人は少ない気がしますね」
(取材・文:綾塚達郎, 取材日:2023年10月10日)
