MENUCLOSE
1_ja2_en_US
インタビュー記事
ホーム > 広報 > インタビュー記事 > 【日本近代文学】【飯田 祐子 氏】文学場を通して社会規範を読み解く―変わり続ける時代の中で、より良い規範を選び取るために

【日本近代文学】【飯田 祐子 氏】文学場を通して社会規範を読み解く―変わり続ける時代の中で、より良い規範を選び取るために

2023.03.19

飯田 祐子
名古屋大学大学院 人文学研究科 日本文化学講座 教授 / 名古屋大学大学院 人文学研究科 附属 超域文化社会センター センター長
~~~
 単著「彼女たちの文学:語りにくさと読まれること」、編著「女性と闘争:雑誌「女人芸術」と一九三〇年前後の文化生産」、共著「ケアを描く:育児と介護の現代小説」など著書多数。2022年10月24日、新編著「プロレタリア文学とジェンダー:階級・ナラティブ・インターセクショナリティ」を発刊。2023年1月28日、29日には、超域文化社会センター長として国際シンポジウム「ケアの倫理と人文学」を主催するなど幅広く活躍中。専門は日本近現代文学、ジェンダー批評。
~~~

●私たちを操る暗黙の力、その正体を見破る研究

 社会の様々なレッテルの中で、私たちは生きている。 

―理系は論理的に考えるのが得意。文系はコミュニケーション力が高い。

―終身雇用で安定した職業が人気。起業して自由に働くのも現代風。

  例えの真偽は別として、これと似たような話をよく聞くことがある。さらにこうしたレッテルは、知らず知らずのうちに生きる上での規範として私たちに影響を与えている。

 「私たちは皆、規範に無自覚に生きています。規範を可視化したり、意識したりすることが大事だと思います。合っていれば維持すれば良いですし、合っていなければ降りることもできます」

  飯田さんはこのように話す。しかし、この暗黙の力学ともいえる規範を、一体どのように捉えればよいのだろうか。その方法の一つとして、文学研究のメスが入る。

  1980年代後半、日本の文学研究に文化研究の手法を取り入れる試みが始まった。たとえばある作家が書いた小説は、編集者、評論家、一般読者など多くの人に読まれ、社会に影響し、評価され、それがまた作家へと影響を与える。小説は、作家個人の世界観だけではなく、社会全体の影響を受けながら生み出される。この一連の様子を“文学場”と表現し、文化を形作る要素と位置づける。文学場を読み解くことで、社会の中に複雑に入り込んだ規範を切り分け、可視化することができるのだ。

●社会を反映し、社会を作り出す“文学場”とは

 飯田さんの研究舞台の一つ、近代文学の一大潮流であるプロレタリア文学について見てみよう。 

 日本の近代化が劇的に進んだ明治、大正、昭和。当時の発展を支えた繊維業や鉱業、造船業を始めとした数々の産業は、一方で多くの安い労働力を必要とした。結果として、資本家階級のブルジョアジーや、賃金労働者階級のプロレタリアートといった言葉が表すように、経済格差の構造が顕著となった。こうした中、プロレタリアートの過酷な労働環境をテーマとしたプロレタリア文学が生まれ、多くの人々の共感を得た。1920年から1930年代に特に盛り上がりを見せたこの文学には、たとえば小林多喜二による有名な作品「蟹工船」もその一つとして数えられる。

  プロレタリア文学はこれまでも盛んに研究が行われてきた。飯田さんは、ここにジェンダーの視点を取り入れる。

 「ジェンダー研究では、ジェンダーだけでなく、それ以外との繋がりも見ていくことが重要視されています」

  ジェンダーとは、生物的な性別ではなく、社会的、文化的に形作られた性別を表す。教育、仕事、公共サービスなど、その一つ一つにジェンダー観が織り込まれている。ジェンダーの構造や真の問題点は、その要素を並べて整理するだけでなく、背景や繋がりも含めて統一的に考えなければ見えてこない。飯田さんの編著「プロレタリア文学とジェンダー 階級・ナラティブ・インターセクショナリティ(1)」では、複数名の文学研究者とともに、この検討を行っている。

飯田さんの編著「プロレタリア文学とジェンダー」

 当時、資本主義に異を唱え、社会主義や共産主義を主張した闘争者たちは、思想犯として投獄の対象となった。そこには小林多喜二を始めとした一部のプロレタリア文学作家も含まれる。そして、獄中にいる闘争者への差し入れや面会、その家族に対する支援といった救援活動が行われた。

  このとき、救援活動の現場を担っていたのは女性たちであった。一方、公的な資料においては、救援組織の中核を男性が担っていた記録しか残されておらず、実は女性の姿がほとんど登場しない。そこで文学研究はまず、当時の男性ジェンダー化した規範に隠された実態を浮かび上がらせるのである。たとえば、プロレタリア文学作家の中野重治や武田麟太郎は、それぞれ「病気なほる」、「暴力」といった作品の中で、救援活動に従事する女性の姿を物語として書き出している。飯田さんは、著書の中で次のように指摘している。

 公的記録と実態の乖離を踏まえたうえで指摘したいのは、プロレタリア文学が表象する救援のナラティブには、公的記録とは異なり、救援の主体として女性が配置されていることである。(中略)公的には記録されない女性の存在が、文学のなかにはある。(2)

  現実の構造において、「闘争」は男性が担う中心部分、「救援」は女性が担う周縁部分とするジェンダー化された規範があった。たとえばこれを裏付けるかのように、救援における“母”なる存在、渡辺テフという人物が、救援の象徴的な存在として描かれている。文芸雑誌「戦旗」の19303月号に掲載された、秦巳三雄「残された前衛の家族はどうしてゐるか?」の一部を紹介する。

 自分の倅が××れた悲しみなどは全く忘れたやうに、始終にこ〱してゐて、若い大きい関さんに負けずに働いておられる。『ゴルキーの「母」にあるパベルの母、プロレタリアの母』そのまんまのお母さんだ。(略)皆の中で、少しでも没落気分や卑怯風邪にかゝりかけた者があつたら、須くこゝへ行つて志那そば一杯でも食ふべきだ(3)

 活発に働き、獄中にいる闘争者やその家族の支援に奔走する渡辺テフの様子がプロレタリア文学雑誌において度々取り上げられている。一方、興味深いことに、当初、渡辺テフは、闘争の最中で家族を失った犠牲者、つまり救援の対象者として描かれていた。以下は、「戦旗」19297月号に掲載された、「同志×野からお母さんへ」の内容である。

 お母さん、めんかいにきては泣かないで下さい。(略)しなければならない、たくさんのしごとがあります、お母さんでもできるしごとがたくさんありますよ みんなのうちをたづねたりし、なぐさめあつて下さい、そうして、じぶんのことのみかんがへずに、みんなのことをかんがへて下さい(4)

雑誌「戦旗」。投稿されている文章の一つひとつに、当時と現代の時代背景の違いが滲み出ている

 家族を失い悲しみにくれていた母・渡辺テフは、救援の対象から、やがて救援の主体へと変化していくのである。飯田さんは、この流れを、著書の中で次のように指摘する。

 この二重性によって、家族の悲嘆と苦境は救援活動へと人々を動員するレトリックとなるのであり、渡辺テフはその象徴としての役割を果たした。(5)

 男性ジェンダー化した闘争中心部を勢いづけるため、周縁におかれた女性が目的をもって描き分けられていた。ときに救援の必要性を訴えるため、助けるべき家族や女性の苦境が強調して描かれた。またときには後方支援要員としての活躍を促すように描かれた。

 「文学、特に小説の物語には、家族観や社会観といった思考の枠組みが載っています。社会の反映でもあり、社会を作り出すものでもあります」

 ここで紹介した内容は著書「プロレタリア文学とジェンダー」のほんの一部である。ぜひ同著を実際に手に取って読んでほしい。

(1)『プロレタリア文学とジェンダー 階級・ナラティブ・インターセクショナリティ』
飯田祐子(編著)/中谷いずみ(編著)/笹尾佳代(編著) / 株式会社青弓社 / 書店発売日:2022年10月24日

(2)(1)と同著:87、89ページ

(3)秦巳三雄『残された前衛の家族はどうしてゐるか?』『戦旗』1930年3月号、戦旗社、179ページ(注:一時引用元は『プロレタリア文学とジェンダー』)

(4)『同志×野からお母さんへ』『戦旗』1929年7月号、戦旗社、127、129ページ(注:一時引用元は『プロレタリア文学とジェンダー』)

(5)(1)と同著:85ページ

●変わり続ける規範の中で、私たちはどう在るべきか

 近代から現代まで、多くの文学が物語る時代ごとの規範。これに対し、飯田さんは研究を通して感じていることがある。

「歴史的に見て、規範は変わり続けています。そして、今後も変わっていくということが確かなことだと思います」

 ジェンダー規範も時代とともに確実に変わる。男女それぞれの在り方や、そもそも男女という2つの属性に分けるだけではない多様な在り方が模索されるようになってきた。この流れを顧みない旧態然とした制度や考え方があるならば、それは変えていかなければならない。

 「ジェンダーという制度が無くなるとは思わないですし、無くなるべきだとも思いません。ただ、それによる差別は無くなるべきだと思います。多様な人がいることがそのまま認められると良いですね。本来、私たちには年齢や出身、階級、民族、人種など、様々なカテゴリーが重なっています。その中でもジェンダーは非常に強く機能しています。ジェンダー以外のたくさんの性質のなかに、ジェンダーが薄まると良いと思います」

研究室には本がぎっしり。その一つひとつにそれぞれの物語がある。そこに込められたメッセージや時代背景を飯田さんは日々読み解いている

(取材・文:綾塚達郎, 取材日:2022年9月26日)