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【がん免疫学】【西川 博嘉 氏】謎へ、真摯に、しつこくあれ―洗練されたがん免疫機構の解明に挑む

2023.03.19

西川 博嘉
名古屋大学大学院 医学系研究科 微生物・免疫学講座 分子細胞免疫学 教授 / 国立がん研究センター 研究所 腫瘍免疫研究分野、先端医療開発センター 免疫トランスレーショナルリサーチ分野 分野長
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2022年、クラリベイト・アナリティクス(Clarivate Analytics)による「高被引用論文著者 (Highly Cited Researchers 2022)」に選出された。2020年、2021年に引き続き3年連続の選出となり、専門分野をリードし続けている。専門はがん免疫学。
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●わかっていないことに、わかったふりをしてはいけない

 西川さんには、20年以上たった今でも拠り所となっている研究がある。

「ラッキーでした。一番初めにこの研究を経験できたのは。自分が思ってもいないことが起きたとき、『僕らの知恵なんて限られていて、まだ知らないことがいっぱいあるんだ』と思うことができます」

 私たちの体に備わっている免疫の仕組み。それは、細菌やウイルスを退治するだけでなく、がんを排除する役割も持つ。西川さんががん免疫について研究し始めたのは1990年代後半。当時主流だったのは、がんを直接攻撃するキラーT細胞の研究だった。

 西川さんはそうしたトレンドにおいて、「免疫はそんなに単純ではないはず」と思ったそうだ。研究対象に選んだのはヘルパーT細胞。免疫の調節役を担っている。キラーT細胞の攻撃を援護する細胞と考えられていたが、詳しくは解明されていなかった。がんを発症したマウスをいくつかの条件に分け、処理を加える。

1,キラーT細胞のみ活性化させる。
2,ヘルパーT細胞のみ活性化させる。
3,キラーT細胞とヘルパーT細胞の両方を活性化させる。
4,何も処理を加えない。

 効果の大小はあるとしても、キラーT細胞やヘルパーT細胞を活性化させたマウスの予後が良いように思える。しかし、予想外の結果となった群があった。ヘルパーT細胞のみ活性化させたはずのマウスのがんが悪化したのだ。

 なぜか。研究を進める中で後にわかったことだが、実はヘルパーT細胞が属するCD4陽性T細胞はさらに分類できる。攻撃を援護するのとは別の役割を持つ細胞が仲間にいたのだ。攻撃にブレーキをかける細胞、制御性T細胞である。免疫は非常に強力な仕組みであるために、ひとたび暴走すると体内に過剰な反応を引き起こす。制御性T細胞は免疫の暴走を防ぐため、常に監視し免疫応答を調節している。そしてがんは、免疫の攻撃をかいくぐる巧妙な仕組みの一つとして、この制御性T細胞の一部を手懐け悪用している。つまり、上記の実験でヘルパーT細胞を活性化させたと考えていた群では、がんを守る側の制御性T細胞を活性化させてしまっていたのだ。両者はバランスをとっている。CD4陽性T細胞=ヘルパーT細胞、と大きく括らず、両者を区別して活性化させなければ狙った効果は得られない。

 大阪大学特任教授の坂口志文氏が制御性T細胞を発見したのが1995年のこと。西川さんは、当時、不可解な結果と奮闘する中で、「これかもしれない」と、坂口氏の制御性T細胞の研究に行きついた。解決の糸口を見つけ、やがてがん免疫研究の道を切り拓いていくこととなる。

「実は医学生のころ、一番嫌いな科目が免疫学でした。当時の理論は、断片的な情報を無理につなげてまとめたような印象で、よくわからなかったのです」

 しかし研究には、研究者としての立場やトレンドなど、大きな流れがある。当時、西川さんがヘルパーT細胞を研究対象とするには勇気が必要だったはずだ。

「大切なのは、起こっている現象に対して、僕らは真摯に向き合わなければいけないということ。わかっていないことに、わかったふりをしてはいけないと思います」

西川さんの研究姿勢は、日々のコミュニケーションの中で学生へと引き継がれている

 説明がつかない現象を見たとき、自分たちが腹落ちしないとき、それはきっと何かが間違っている。そこから逃げない姿勢が、さらなる発見に繋がっていく。

●原動力となっている上司の言葉「1個の現象を見たら、5本論文が書けるくらいまで座り続けろ」

 2018年にノーベル生理学医学賞を受賞した本庶佑氏の研究は、がん免疫療法という新しい分野を切り拓いた。この治療で使われる薬の一つにオプジーボがある。
 キラーT細胞は、相手が攻撃対象だと認識して証明できない限り攻撃を行わない。これも過剰な免疫を防ぐ仕組みの一つだ。がんはこれも利用している。がんが制御性T細胞の一部を手懐けて相手を抑え込むことは先に書いた通りだが、それ以外の逃避方法として、自分が攻撃対象ではないとする“証明書”を提示している。キラーT細胞はこの証明書の前では攻撃ができず、動きが鈍くなる。オプジーボはいわば、この証明書を無効化するような薬効をもつ。これにより、キラーT細胞はがんを攻撃できるようになる。

 しかし、がん免疫療法はまだ始まったばかりでもある。オプジーボががんに効くケースはなぜか2、3割にとどまるのが現状だ。西川さんはこの謎の一つを解明した。

「免疫は、正と負のバランスをとって良い塩梅に落ち着いています。20年前に見た現象が根幹にあって、今の研究でも同じだということに気づきました」

 オプジーボによって活性化するのはキラーT細胞だけではなかった。実は、がん周辺の制御性T細胞まで活性化させることがわかってきた。つまり、薬効の鍵を握るのは両者のバランス。もし、がん周辺にいる制御性T細胞の勢力が強い場合、結局キラーT細胞が競り負けてしまう。

 西川さんの研究はさらに進む。次に、キラーT細胞と制御性T細胞のバランスはいったい何が決めているのかを明らかにする必要がある。ここで、薬効が特に弱い肝臓へ転移したがんに目を付けた。

 肝臓は、大腸や小腸といった消化器から栄養分がたくさん送られるため、代謝が活発な臓器だ。代謝のエネルギーをまかなうために糖を大量に消費するが、このとき最終的に乳酸が排出される。さらに、がん自体も自身を大きくするために糖を大量消費している。肝臓へ転移したがんの組織内は他と比べて乳酸が豊富な状態になっている。

「私ががん免疫研究で注意しているのは、がんを見る視点と免疫を見る視点の両方を持つことです。今までの研究では注目されていなかったのですが、制御性T細胞が乳酸を使うことに気づきました」

 キラーT細胞をはじめとした免疫細胞のほとんどは乳酸を使えず、その活動には糖を使っている。たくさんの免疫細胞が集まって活発に活動すると、糖が減り、乳酸が増える。この状態でも乳酸を使うことができれば、常に監視し免疫応答を調節し続けなければいけない制御性T細胞は食べ物に困らない。
 さらに、乳酸が多いとキラーT細胞の活動が鈍くなることもわかってきた。つまり肝臓へ転移したがんは、制御性T細胞にとって他の免疫細胞よりも優位に立ちやすい環境と言える。

 こうした一連の発見は、がん免疫の研究に新たな知見をもたらした。また、臨床現場への影響力も大きい。オプジーボの価格や副作用を考えると、効かない人に打たない選択ができるのは大きな進歩となる。

 こうした数々の研究をやり遂げてきた西川さんは、科学技術の進歩や自分を受け入れてくれた先生方のおかげであることを大前提としつつ、自身は研究に対して「しつこい」と話す。その原点は、2003年から2006年、アメリカのニューヨークにあるメモリアルスローン・ケタリングがんセンターで研究していたころまで遡る。当時の上司、がん免疫研究の先駆者として有名なロイド J. オールド氏から言われた言葉だ。

 「彼は僕に、『1個の現象を見たら、5本論文が書けるくらいまで座り続けろ』と言いました。5本も論文を書くのはかなり大変ですが、一連の物事を解決するくらいやる、という姿勢を教えてもらいました」

オールド氏から西川さんへ贈られた、チャールズ・デムースによる絵画(左額縁)。5という数字にオールド氏の言葉を思い出す

●免疫の仕組みは合目的的でおもしろく、そして美しい

 免疫はいつ、どのようにしてがんを見つけ出すのか?状況によって異物かどうかの判断は変わるのか?乳酸を使えるキラーT細胞は生み出せないか?

 疑問は次々と浮かんでくる。免疫の仕組みはとても複雑で、その多くが今もなお謎に包まれている。

 研究しても成果は出ないかもしれない。それに対し西川さんは、「怖いし、わからないことだらけです。だから楽しいのです」と言い切る。その言葉一つひとつに、まるで好奇心の輝きを見て取れるようだ。

 「免疫学を研究していると、ときどきすごく嬉しくなります。こんな精巧な仕組みが自分の体の中にあるんだ、と。調べれば調べるほど、あまりにも出来すぎていて脱帽するしかないです。何かがおかしいと思って研究すると、ちゃんと合目的的な結果が出てくる。人間が考えることなんてしょせんだめだな、と思ってしまいます。それくらい素晴らしいです」

2台セットでは日本で5台ほどしかない最新のタンパク質解析機器。西川さんの最先端研究への挑戦はまだまだ続く

(取材・文:綾塚達郎, 取材日:2022年10月19日)